死とは
「リストラされたけど家族に打ち明けることができず出社しているふりをして公園で鳩に餌をやる中年サラリーマン」
という描写を見かけるが、そういう境遇の人と実際に会って会話を交わしたことがないため、本当にいるかどうかは分からない。
ただ、今はその人の気持がよく分かる。
というかそれは自分だ。
存在意義が無くなった人間は、肉体的には生きていても人として死んでいる。
私は死んでいる。
2018年5月7日
起床後、手足の震えと動悸が止まらない。
前兆はあった、と思う。
5月1日、2日は有休をもらい、いつもより長めのGWにした。
年始から目が回るほど忙しかったので、心身をリフレッシュしようと思ったのだ。
しかし溜まっていた仕事に一区切りつけて休みに入ったわけではなかった。
GW前半は恒例になりつつある友人家族とのキャンプに出かけた。
今は静岡に住むその家族には娘と同い年の息子がいる。
まだご近所だった頃、一緒にキャンプを始めた仲だ。
久々の再会は楽しい時間だったと思う。
後半は自宅でのんびりした。
GWといえど平日は娘の学校があるため、昼は妻と食事に出かけたりもした。
豪華なランチではなくうどん屋巡りに終始したが、暫く2人きりの時間が取れていなかったのでいい機会になった。
あとはショッピングに行ったり庭いじりをしたりと、ごくありふれた休日を過ごした。
そんな中、自分でも理解しがたい不安感が常に脳の片隅に存在することに気づいた。
消したくても消すことができない。
寝ても起きても何をしていても常に「それ」はいた。
そしてGWが明けた。
堤防が決壊するように「それ」は溢れ出し、自我が音を立てて壊れていく感覚に襲われた。
ブログはじめました。
愛妻あり。
愛娘あり。
マイホームあり。
仕事。。。
なし!